
お祭りのメインでもあるエリザベス神輿の見学と記念の飴も買えたので、あとはゆっくり帰ろうかなと思いましたが、せっかくですからもう一回神社に戻ってみることに…
なにかの行列ができており覗いてみると、なんとそこにもエリザベスが!?
他にも帰りの神社で挑戦したものや平和の考察といったことを載せてます。

金山神社に戻ってみると!
公園を何往復もして見逃しがないか確認したあと、そろそろ足も疲れてきたので帰ろうかと思ったのですが…
そういえば、あれから神社のほうはどうなっているのか?ということで、戻ってみました!
はたして何か目新しいものはあるのでしょうか!
まさの分身体!めくられるエリザベス
鳥居の付近には相変わらず人の出入りが激しく、そろそろお祭りも終わりの頃ですがまだ何かありそうな…
鳥居の手前の境内は人の出入りが落ち着いていますが、奥へ進むと行列ができていました!
何の行列かと思い、まえへと進んでみると…

まさかのエリザベス‼・・もう一体いるではありませんか‼
公園にチン座しているのが瞬間移動したわけではないと思うので、もともと2体奉納されていたものだったのですね。
さて、こちらは堂々と飾られておらず、隠されている布をめくって覗くチラリズムを体験できるようw

正面から全体をめくるのではなく、少しだけめくることでチラ見えしたエリザベスと写真を撮るスペースのようです。
外国だと電車に乗るときは我先にと揉みくちゃになるようなことを聞きますが、誰も横入りもせずに並んでいる…
このチラリズムの写真と撮るために揉みくちゃにならずに並んでいる…性器もアイドルになれる時代になったのですね!
それにしてもここまで皆が愉しんでいることからも、世界全体が「性」という概念に対して、宗教上のあれこれはあれど内心では寛容になっていることの顕れともいえそうです。
男根を芸術へと昇華させた作品「チムチムゴッドミニ」
午前の境内では製作者である青木さんをガチャポンコーナーで見かけましたが、16時のこのときは境内で見かけておらず、公園のほうにいたのかもしれません。
遠目にいかつい雰囲気のある方に見えましたが、チムチムゴッドというチンコ像を製作しているという点にギャップを感じました。
さて、1回1000円で当たりと大当たりを含めて3種があるミニマムなチンコ像なのですが、はじめは買うか迷っていた自分…

ここでは巫女さんが受付をしており、多くの男性たちがガチャに挑戦しています。
なかなか飾るにしても場所を選びそう・・一般家庭ならトイレに飾るのが無難といいましょうか(・・;)
しかし、せっかくお祭りであり、このときでしかタイミング的にゲットできない代物でしょうから、1回挑戦してみることに。
ガチャポンの蓋はその場で開け、中身を取り出して巫女さんがチェック‼
すると…チリンチリンと鈴の音を鳴らして当たりを引いたと教えてくれました。
ん、どこに当たりポイントがあるのだろうと思っていたところ、どうやら亀頭部分の模様「タレ」があるのは当たりのようです。(下の画像のように)

この「タレ」が付いたチムチムは・・なんと16500円で販売されているものであり、さらに大当たりのもう一段上の33000円!
ただ、普通のチムチムも約5000円と決して1000円で手に入るようなものではなく、来年はいらっしゃるかは分かりませんが、戦利品の一つとしてゲットしに参加してもよさそう!
ネットでも販売していますが売り切れが多く、かなまら祭ではかなり大盤振る舞いだったんですね!
くそみそテクニックのクジでははずれてしまいましたが、こちらでは当たりを引くことができたので挑戦してよかったです♡(*´▽`*)

上の画像が自分がゲットしたものであり、興味のある方は下にリンクを貼っておきますね♪
青木さんはチムチムゴッドだけの陶芸家ではなく、他にも素晴らしい食器なども製作しており、HPでいろいろ紹介されています。
陶芸家・青木良太X:@RYOTAAOKIPOTTER

チムチムゴッドミニ9体 タレ D
帰りの川崎大師駅のようす
16時になると人の出入りも落ち着いて境内もだいぶ歩きやすくなっており、商品もかなり売れていたようです。
そんななか、鳥居の近くには褌を販売しており、筋肉質な褌姿の似合うお兄さまが!

しかし、外国人に説明(仕事)していたため、なんとなく近づくことができず・・(´;ω;`)
外国人が多いなか、隠すための日本伝統下着の販売は良かったと思いますね。
流石に朝から祭を堪能したので帰ることに…川崎大師駅に戻ると思ったよりも人混みはできていませんでした。
ただ、疲れてなければ意外と歩いていけなくもない距離(隣駅が近い)なので、グループで来ている人は話ながら帰るのもアリかも!
さて、せっかくですから久しぶりに横浜駅まで…せっかくだし隠れ家を見てみたいな~なんて記憶をたよりに歩いていたんですよ。
なんか違和感があって隠れ家を調べたら「桜木町駅」のほうだったんですね(´;ω;`)
せっかくのご利益効果があるかもしれないのに諦めるのも・・というわけで、しかたなく約40分ほど歩いてとある隠れ家までやってきたわけです。


えっ?何しに行ったって?カフェですよ!カフェ!
というわけで、3部と長いレポートになりましたが、次回の参加に興味を持ってくだされば嬉しいです♡(*´ω`*)
まとめ
3部作となりだいぶ長くなってしまいましたが、画像も多く載せていたので雰囲気は感じ取っていただけたのではないでしょうか。
感想とポイントをまとめていこうと思いますが、個人として感じた「平和」というものについて考察もしてみましたので興味のあるかたはぜひ!(レポートの雰囲気と変わってマジメな考察)
感想
近年では来場者数が約4万人が訪れているようで、海外の知名度も上がっているでしょうから4万人以上は確実だったのではないでしょうか。
外国人が7割くらい参加している日本としては不思議な感じのお祭りですが、日本人も段々と増えてきているのは間違いありません。
逆に、海外のお祭りに多くの日本人が参加しているような錯覚があります。
老若男女問わず、皆が楽しそうに参加していた素晴らしいお祭りでした。
物価高ではありますが飴が500円だったりと手に取りやすい金額設定であったり、無料でも充分楽しめるイベントであったと思います。

飴などは神社に並ばなくても公園で購入できるため、神社と公園の両方を楽しみたいのであれば、11時前までに公園の出店を堪能してから神輿の出発を見学するのが効率的かも。
もちろん境内と公園で売っているものは違うため、両方チェックすることをお勧めします。
この機会に日常にちょっとした「性的」なものを飾りの一つとして取り入れているのにちょうどいいかもしれません。
普通のお祭りならば我先にとなにかしら揉めごともありそうですが、ケンカなどは見かけておらず、逆に「男根」という一種の暴力的装置のまえでケンカなどすればまさしく存在の恥部となってしまうことでしょう(笑)
外国語で交流できる方なら、「性」をテーマとしたこの不思議なお祭りを契機として交流することもできるでしょう。
外国人たちも気さくに日本語で交流する人もいれば、ジェスチャーも交えての会話なども見かけてましたから(*´ω`*)
約4万人もの人々が集まりながら、大きな混乱や排除が生じることなく、多様な文化や宗教的背景を持つ人々が同じ空間を共有しているお祭りであります。
もしまだ来場したことがなければ、この素晴らしい奇祭「かまなら祭」にぜひ来年は参加してみてはいかがでしょうか!
ポイントをまとめると
- 近年の来場者数は約4万人規模で、国際的な知名度も高い祭り
- 参加者の多くが外国人で、海外の祭りに日本人が参加しているような不思議な感覚
- 老若男女を問わず幅広い層が楽しんでいた
- 多様な文化や宗教的背景を持つ人々が同じ空間を自然に共有
- 「男根」という強烈なシンボルを扱いながらも、会場全体は平和的で穏やかな雰囲気
- 飴などのグッズは500円程度と比較的手に取りやすい価格設定と、無料でも十分に楽しめるイベント
- 神社と公園では販売物や雰囲気が異なるため両方を見る価値がある
- 公園の出店を見てから神輿出発を見学するルートが効率的
- 性的なモチーフを日常のインテリアや話題として取り入れるきっかけに
- 「性」が分断ではなく交流の契機となっていた
- 「奇祭」としての面白さだけでなく、平和や共生を体感できる祭り

【くそみそテクニックコラボシリーズ】日本男子決定

このお祭りのテーマの一つでもある「世界平和」なんですが、こちらについて哲学的考察をしております。(下記)
ちょっとかたい感じですが、もしお時間がありましたら、一緒に「平和」の考察をしてもらえると嬉しく思います。
平和とは畏怖する非日常のことである
祭りの目的として語られるものには、「五穀豊穣」や「子孫繁栄」、そして「平和」がある。
かなまら祭りもまた、男根という性の象徴を中心に据えながら、豊穣や繁栄の祈願とともに平和への願いが込められている祭りとして知られている。
しかし、ここで一つの疑問が生まれる。
そもそも男根とは平和を象徴するものなのだろうか。
男性器は生命を生み出す器官であると同時に、性交という行為において身体へ侵入する力を持つ。
言い換えるならば、それは生命創造の象徴であると同時に、ある種の暴力性を帯びた装置でもある。
その暴力の象徴ともいえる男根が祭りの中心に置かれながら、なぜそこには平和が成立しているのか。
実際に祭りの会場に立つと、不思議な光景が広がっている。
屋台では男根を模した菓子やグッズが並び、音楽が流れ、人々は笑い合う。
そのすぐ横では家族連れが子どもと遊び、少し離れた場所では花見を楽しむ人々がいる。
外国人観光客も多く、国籍や人種、年齢、宗教の違いを超えて同じ空間を共有している。
私が印象的だったのは、花見を楽しむ人々の中にイスラム圏と思われる女性たちの姿があったことである。
宗教的背景を考えれば、必ずしも性の表象を歓迎する文化ばかりではない。
それにもかかわらず、この場所では誰もが自然に共存していた。
そこにあったのは思想の一致ではない。
価値観の統一でもない。
ただ互いを排除しないという、きわめて単純でありながら稀有な現実であった。
興味深いことに、この祭りで表現される暴力は徹底して象徴化されている。
男根は奉られているが、それはあくまで視覚的な象徴に留まる。
誰かに強制されることもなく、身体的危険を伴うこともない。
暴力の象徴だけが存在し、暴力そのものは存在しないのである。
そのため、この空間では暴力が排除されるのではなく、飼い慣らされ、祭礼の中へと取り込まれているように見える。
そして私は、この光景を前にして奇妙な感覚を覚えた。
それは安心感というよりも、むしろ畏怖に近い感情だった。
もし平和とは単に争いがない状態を指すのであれば、この場所はあまりにも完成されていた。
差別もなく、対立もなく、多様な人々が共存している。
そこに何かを付け加えれば、より平和になるのではないかと考えたが、何も思い浮かばなかった。
だからこそ恐ろしかった。
普段の私たちは不完全な世界の中で生きている。
意見の違いがあり、競争があり、摩擦がある。
しかし、この祭りの空間では、それらが一時的に消失している。
まるで世界そのものが調和のうちに静止したかのような感覚である。
おそらく私が感じた畏怖とは、平和そのものに対する畏怖だったのだろう。
世界平和という言葉は理想として語られることは多いが、実際にそれが実現された空間を経験する機会はほとんどない。
かなまら祭りは、その理想をわずかな時間だけ現実として体験させてくれる。
そして祭りが終われば、人々は再び日常へと帰っていく。
対立も矛盾も競争も存在する世界へ戻っていく。
だからこそ、この平和は尊い。
永遠ではないからこそ価値があり、非日常だからこそ畏怖を呼び起こす。
本来であれば、このとき私が立っていた場所から左側と右側の風景を撮影した写真を掲載したかったが…しかし残念ながら操作ミスによって失われてしまった。
だが、いま振り返ると興味深い。なぜなら私が平和を感じた瞬間は、写真として残すことよりも、その場で体験することを優先していたからである。
写真とは特別な瞬間を切り取る技術である。
しかし平和とは、特別な出来事が何も起きていない状態でもある。
そのため平和は写真に写りにくい。
戦争や暴動の写真は一目で理解できるが、平和の写真はただ人々が日常を過ごしているようにしか見えない。
しかし私が公園の中央で見た光景は、まさにその「何も起きていないこと」そのものに価値があった。
かなまら祭りは男根を祀る祭りである。
しかし私にとってそれは、性の祭りである以前に、世界が一瞬だけ調和した姿を見せてくれる平和の祭りでもあった。
平和とは対立が存在しないことではなく、「多様な価値観が同じ場所に留まり続けられる状態」であると実感させてくれたことに感謝したい。
リンク集
戯道館はゆるい18禁を扱っているので、迷った一般人がこのブログで衝撃を知ってしまうのを避けるため、貼るリンクは考え中!


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